Kasumiの独り言特選集 2

Family

くんくんの事を書いたものも、お子さんをお持ちの方だけでなく、まだ独身の方
にも何かを感じていただけている事がとても嬉しいです。

母として子供を見ているKasumiさんの子育て論にはとっても同じ想いがあって
「私も子供が出来たらきっとこうするな」と思う事はありました。(tomatoさん)
 
「くんくん」の登場するお話が好きです。
どのお話にも、かすみさんの温かい子育てが、息づいていると思います。(Sさん)

 
生まれてくれてありがとう

まだ生まれる前の赤ちゃんの国にいたときに、空から見ていて
「このお父さんとお母さんにしよう」って思ったから来たんだよ。
そう言ってくれたね。

眠っているときもご飯を食べているときも坂道を黙々とあがってくる姿を窓から見たときも、
抱きしめたい気持ちが体中に溢れて、何度も名前を呼んでしまうよ。

今が一番可愛いと思っていたらいつの間にかキミは同じ靴下を履けるくらい大きくなっていた。

何にも言わないのに、ちゃんと分かってくれている。
「どうしてそんなに悲しい目をしているの?」キミがそう言ってくれるだけで救われるんだよ。

給食で出たチーズの包み紙にお花の写真がついているのを、ずっとずっとためていて、
1学期が終わった日に何枚も持ってきてくれたね。

どんなふうでもいい。キミが自由で笑顔でいられるならば。
いろんなこと、話そう。一緒にいろんなことしよう。
上手にお母さん出来ないけど、でもそれでも、毎日楽しいんだ。
キミがいるってだけで。

もう何回言ったかわからないくらい言ったけど、でも、何度でも言うよ。

生まれてくれてありがとう。

 

 どうして私の気持ちが分かるんだろう?同じ事いつも思ってました。(tomoyoさん)

 

揺れる心

くんくんは仕事に行く母の後を追ったことがない。
赤ちゃんの時から、ずっと。
行かないでとだだをこねたこともない。
「お母さんは仕事に行くのが当たり前」
そんなくんくんなりの現実の解釈があったのだと思う。

けれども、3歳か4歳の頃に一度だけ、夜中にくんくんが
寝言で「おかあさぁ〜ん!!」と叫んだことがある。

普段、大声を出さない子供だから、その叫び声は
初めて聞く声だ。

ふりしぼるような声。

びっくりして飛び起きた。
「くんくん、お母さんここだよ、ここにいるよ」
しっかり抱きかかえて背中をさする。

その時に、本当はくんくんは行って欲しくないんだ、
ということを知った。

保育園にお迎えに行くのが遅くても6時。
だから都内で仕事があっても4時には帰らなければならない。
4時までのシンデレラと自分で言って笑ってはいたけれど、
やりたい仕事が出来ないことが悔しくないはずがない。

けれども、どこまでも、無限大に可能性がある人をうらやんでも
仕方がない。

制限付きの時間の中でも、しあわせはあった。

小学生になったくんくんは私からすると何も問題のない
子供だった。
学校の先生は面談のたびに色々言うけれど、
私にとって、それはあまり大したことではなかった。

ある時、私はひどく体を壊して、長い間、
家にいることを余儀なくされた。
くんくんといる時間が増えた。

夜寝る前に、ベッドの中で本を読んであげることもあった。
「おかえり」と家の中から言うのはくんくんでなく、
私になった。

いつしか、くんくんの顔が少しずつ変わっていくのが感じられた。

夕方になって、私がPCの前にいると、
「今日はもうお仕事行かなくていいんだよね?」という。

分かっていたけれど、そういうことなんだな、としみじみ思う。

中学生になったくんくんは、7歳頃よりも甘えん坊になった
かもしれない。
いいんだよ。
赤ちゃんの頃、淋しかった時間を、今、取り戻しても。

大きな仕事をしたい。
でも自分にとってはくんくんといることが大きな仕事でもある。

TVで、新聞で、悲惨な事件を見るたびに、子供1人まともに
育てられないで、何が仕事だ、と自分で自分に言い聞かせる。

けれども、くんくんがいたから、思うように仕事が出来なかった、
そんな風にだけは言いたくない。
揺れる心。

 「子ども一人育てられないで何が仕事だ」この言葉が胸に残ります。(Tomokoさん)

つい最近の出来事です。友人と一緒に出かけた時にみつけた小さな宇宙とくんくんのお誕生日のお話。

誕生日に

先週、「あと4つ寝ると・・・」
と言って意味ありげに笑っていたくんくん。もうすぐ13歳の誕生日だった。

疲れている時、気持ちが辛い時、背中をさすってくれるくんくん。
「お母さんがここにいることがプレゼントだよ」
その時もそう言って頭に手を置いた。(くんくんは時々人を妹か何かのように扱う)

私は手のひらに乗るくらいの「宇宙」をくんくんのお誕生日プレゼントに買った。

「宇宙」の中にはコッピーというメダカのような魚が1匹。
それが出す二酸化炭素をマリモが光合成して酸素を作る。
コッピーのフンは下に敷いてある石が浄化する。
それで一つの生態系なのだ。何か一つでも狂うとみな、生きていけない。

くんくんは「ピー助」という名前をつけてそれの置き場所を作った。
2、3年は生きるらしいと言うと、とても嬉しそうだった。
本当はくんくんは何か生き物を飼いたいのだと思う。
でも、コロンちゃんのことがあってもうペットを飼うのは金輪際やめようと決めた我が家は
金魚しか飼ったことがない。

説明書を渡すとずっとずっと読んでいた。
次の日、餌を買いに行かなくては、と言っていた。

ところが、餌をやりすぎたのか、バイオ溶液なるものを入れなかったからいけなかったのか、
水が濁ってしまったらしい。

私が泊まりがけの仕事から帰った日の朝、くんくんが6時頃枕元に来た。

「朝、ピー助がいないからどうしたんだろうと思って探したら、浮いてた。」
そう言ってポロポロと涙をこぼした。
「せっかくずっと一緒に育てようと思ったのに」
「まだお誕生日も来てないのに」

寝ぼけた頭と本番が終わって疲れ切った体だったけれど悲しい気持ちだけは痛いほどだった。

泣いているくんくんの髪をずっと撫でていた。
私はくんくんの誕生日に何をプレゼントしたのだろうか。

「マリモだけでも飼う?」とくんくんが言った。

お誕生日の今日、ピー助の名札がはずされた「宇宙」の中にマリモが2つ沈んでいる。

  
小人の靴屋さん

仕事から帰るのがたいてい夜10時を過ぎるので、くんくんは眠ってしまっている。

自分の部屋に行くと、アイロン台の上にボタンの取れたパジャマや、目玉が飛び出てしまった
ぬいぐるみなどが置いてあることがある。

いつの時からか、直して欲しいものがそこにおいてあるようになった。

くんくんなりに考えて、そこがミシンや糸針のそばで、寝る前の私の目につく場所だから、
「ここに置いておけば、お母さんが直してくれる」と思ったのでしょう。

何も書いていないけど、どこを直して欲しいのか、私には分かるんだよ。

そして夜中に直してくんくんの部屋に置いておく。

朝、起きて顔を合わせたときにくんくんは満足の表情を見せる。

なんでも直してあげるよ。
ゴムの伸びた紅白帽だって、とれかかったワッペンだって。

小人の靴屋さんだね。
そうだよ、お母さんはそんなことしかしてあげられないけどそれでもこの家でそんな魔法が
使えるのはお母さんだけなんだもんね。

 この話を読んで「ああ、結婚して子どもが欲しいな」って思った(Hさん)

 

妖精の鳴き声

くんくんと目が合うとお互いにニコ、とする話を前にしたけれど、実はもう一つ、ある。

ニコ、よりももっと感情を伝えたい時ってあるでしょう?
「大好きだよ!」「しあわせ?」「元気にやってる?」
そんな時、私たちは妖精の鳴き声のような声を出す。

文字には出来ない。しいていえば、Uh、かなあ・・・
ころころと喉の奥で出す合図。

恥ずかしいので他の人がいる時はしない。
そうしよう、と決めたわけではなく、いつの間にかそう言うふうになった。

相手が何か心配事があったり、悲しいことがあって鬱いだ顔をしている時も、様子をうかがいながら言う。
そう言う時は「どうしたの?元気出して」という意味だ。

言葉じゃないのに心が通じるのって、なんて不思議で素敵なんだろうか。

 

くんくん語録

*こどもは仕事はしないものだ

3歳の時にバレエ教室に初めて行き、20分で辞めた。
その時に言った言葉。
バレエは仕事だと思っているらしい。

*生まれる前にこのお父さんとお母さんのところに行こうって思って自分で決めたんだよ

うちの子に生まれて来てくれてありがとうと言ったら。

*そうでなくても辛い気持ちなんだから、今は何も言わないで。

忘れ物をして学校に届けに行った時に言った最初の一言。

*お母さんはこの仕事、好きで入ったんでしょう?だったら誇りを持ってやりなさい。

卒業式と入学式に出られないのだけど、いい?と聞いた時に。

まだまだたくさんあるけどこどもって面白いね。

「子どもはお仕事はしないものだ」というセリフには笑ってしまいました。(Sさん)

  次は私のパートナーのことを書いたもの。

海のものとも山のものとも

今日は珍しくTAROの話。

私達の初めての出会いは「シャドウボクシング」だ。OLをしていた私は朝早く、ロッカールームで1人で
シャドウボクシングをしていた。

別に毎日そこでそうしているわけではなく、ただ何となく遊んでいただけなんだが、たまたまそこに通り
かかってしまったのが23歳だったTAROくんだ。

「変なヤツ・・」と思ったと言っていた。そりゃあそうだろう。

別に付き合っていたわけではない。デートもしたことないし、付き合ってくれと言われた覚えもない。
喫茶店一つ、入ったことがない。でもなんで結婚したのかな?

私は18歳にしてちょうど恋愛に疲れていた。
せっかくいい友達になれると思っていてもそのくらいの年齢の男の子達は「付き合うか別れるか」の
二つに一つ、「恋人」か「他人」かしか選べないのだ。
そういうのにものすごく疲れていたから、「好きだ」とか言ってこないTAROといると安心していられた。

TAROはウィンドサーファーだったので休みの日はいつも海にいた。
TAROだけではなく友達や会社の先輩なども同じ場所に来ていることもある。みんな待ち合わせなんかしない。
海に来て、いれば挨拶をする。

「海、来る?」と聞かれて「うん」と答えたことが二人の距離を縮めただけのことだ。
そして帰りは車で家まで送ってくれた。
田舎に住んでいたので時間がかかる。車の中で色々話をした。

コンビニで買ったお菓子を一緒に食べていて、あと残り一つになった。
私は一応遠慮をして手を出さずにいたら、TAROが最後の一個を持った。
当然食べるのかと思ったら、それを私の口に入れた。

「え?!最後の一個なのに・・・いいのーっ?!」

この時にこの人は自分のことよりも人を優先する人に違いない!と確信した。

母にTAROと結婚すると言ったら、とても驚いていた。
「だって海のものとも山のものとも・・」母は私を車で送ってきてくれているTAROが親切な会社の人だと
言うことしか知らない。

「サーファーだもん、そりゃあ海のものでしょうよ!」と私が言ったら大笑いしていた。

結婚はタイミングだなあ、と思う。そして結婚してからの方がお互いに努力は必要だな、とつくづく思う。

この前「結婚したばかりの頃の10代の私と今の私とどっちがいい?」とTAROに聞いたら5秒くらい考えて、
「今の方がいいかな」と言った。サンキュ!

       

 

無口

私のパートナーは無口である。余計なお喋りはしない。
興味のあること・・・例えばサーフィン・スノボの話だとか電気やオーディオの話は聞けば答える
けれど、自分から話すことはないし、自分の想いを口に出すこともあまりない。

でも人間は言葉を話す動物だ。
声が出ないなら手話とか筆談とかするしかないけど、誰だって思っているだけじゃ伝わらないんだ。
でもありがたいことに、私も彼もちゃんと声をいただいているし、耳も聞こえる。

感情を表に出すように訓練しようとひそかに策を練る。どうでもいいことでも話をさせる。

「このクリームがかったピンクの花の色、いいでしょう?」こんな聞き方ではダメだ。
「うん」で終わってしまう。

うんやううんではすまないように会話を持っていくのだ。
「今日の朝、妖精の光が部屋に入ってきたんだよ。ちょうど、このPCのところに。どうしてだと思う?」
これなら何か答えずにはおられまい。

「さあ、どうしてでしょうねえ」・・・これには笑った。
こんな切り返しがあったとは。

それでも私はあきらめない。
「バナー広告とテキスト広告、つけなきゃいけないとしたらどっちがいい?」
「どっちでもいい」
・・・なんなんだ、コイツは。
どっちでもいいなんて、あんまりおかしくてゲラゲラ笑っていたら変な顔をして見ていたけど、
私の頭の中には「どっちでもいい」なんて言葉はないのでとてもおかしい。

ああ、私が考えていることなんてきっと彼にとってはどうでもいいことばかりなんだろうな。

 

悪口

TVを見ているとつい、「変なの、この人」とか「肌、荒れてる〜」とか一人で悪口を言う。
「何言ってるんだろうねえ、コイツは。」「へたな歌だなあ。」
ターゲットは芸能人、政治家、他有名人の皆さんだ。
有名人である以上、ブラウン管に登場する以上、そういうのは仕方ないのだ。

でも、この前いつものように私がラジオのパーソナリティの悪口を言っていると横でTAROがこう言った。
「人の悪口ばかり言ってると今に嫌われるよ。」

かなりズーンと来た。そうか・・・。

私は友達の悪口を生まれてから一度も言ったことがない。
友達でなくても、ちょっとした顔見知りだって言わない。
だって、そんなこと思いつかないのだもの。
それなのに、TVやラジオに出てくる人にはどうして平気でポンポンと言ってしまうのだろう?
私だってTVに出て誰かから「変な踊り」などと言われているかもしれないし、本に載っている写真を見て
「脚、みじか〜い、この人」と見知らぬ人から言われているかもしれない。
でも、言われていることを知らないからそれでも仕方ないと思う。悲しくも何ともない。

見知らぬ人だから言ってしまうのか!
相手が有名かどうかなんて関係なかった。
そう言えば車で走っていて通りすがりの人を見て「変な人」と言うこともある。
仲良くなったら絶対にその人は変じゃないのだ。

でも、人の悪口を言っているときはきっと醜い顔をしているに違いない。
やっぱり言うのは止めよう。心の中で思うのはどうかな?
私にしてみたら思うのもひとりごとでつぶやくのも一緒だ。
どうしよう。でも、とりあえず我慢しよう。

TAROは決して人の悪口を言わない。だけど、大好きでたまらない人もいないみたいだ。

くんくんも絶対に人の悪口を言わない。言ったのを聞いたことがない。

なんだ、我が家で意地悪なのは私だけか。
だけど、そんなに悪意はないつもりなんだけどなー。

 TAROさんや、くんくんが悪口を言わない話。(akieさん)

家族・・・普段は離れていてもやはり何かあるとすぐにでも飛んでいきたい
気持ちになるのが、家族だよね。
次は母や弟の話。

Cさん

Cさんは声が大きい。
しかも話しているときのジェスチャーが大きいので一緒に電車に乗ると、周りの人が迷惑そうな顔をして
離れていく。
けれども、Cさんはそんなことには全然気づいておらずマイペースである。

Cさんは思い込みが激しい。
自分がそう思ったら、例え総理大臣やハリウッドスターが何と言っても譲らないだろう。
証拠を目の前に突きつけられても、「え〜、どうも腑に落ちない」などと言う。
思い込んでいることが正しかった事のほうが少ない気もしないでもない。

Cさんは大袈裟である。
子供たちからは「ジャロ」(誇大広告の検査機関)とひそかにあだ名をつけられている。
小指の爪くらいのことを、像の頭くらいに勝手に変えている。
しかも、何度も同じ事をいう。

「私って〜な人だからさ」と、もうとっくに誰も使っていない流行り言葉をいまだに使う。
Cさんは一度気に入った言い回しを自分のものにしたら流行が終わろうと、何だろうと使い続ける。

Cさんは基本的にネガティブだ。
最悪のケースばかり話すので、聞いていると地球が終わりそうな気になってくる。
が、その事が分かってからは話半分に聞いて、惑わされないようにみな、気をつけている。

Cさんは子供っぽいところがある。
本当に子供だったらまだ、可愛げがあるのかもしれない。
怒ると怖いので、可愛いと思ったことはない。

Cさんが具合が悪くなると、ものすごく辛そうに見えるので周りの者は心配になってしまう。

Cさんは人にモノを教えるのが好きらしい。
私が誰かに何か教えていると、横から同じ事なのに、「ようするにね、」と同時通訳している。
日本語で喋っているのに。

Cさんは案外、努力家だ。
40を過ぎてから英語を学び、今ではアメリカ人の中にいたほうが楽しげだ。
学校で習わないスラングも訛りも聞き分ける。

Cさんが私の母親であることは彼女の子供達ならすぐに分かるはずである。

 英語が得意で〜いろいろ書いてあって、最後におかあさんのことなんだってのが判るやつ。(メグさん)

 

心の傷

5歳下の弟は近所でも悪名高き悪ガキだった。
とにかく乱暴者だ。
でも、何故か私は弟を心の中では可愛いと思っていた。
7歳くらいの時に家出をしたさい、2歳の弟もつれていったくらいだ。
雪の中、「もう歩けない」という弟をおぶってひたすら東海道線と並ぶ道を歩いた。
なぜ家出をしたかは忘れたけれど、計算すると、ちょうど私達の父親が亡くなった年だ。

父親がいない家は当時はクラスに1人か2人くらいしかいなかった。
死んでしまったものは仕方がない。私達が悪いわけではない。逆に、私達は「偏見や差別や寂しさによく耐えているね」と誉めて貰ってもいいくらいだ。
でも、世間の目は全く逆だった。
何かあると「あそこの家は片親だから」「お父さんがいないから」と二言目には言われた。
そういう何の根拠もない愚かな差別に対して、無意識に反抗していた私とは逆に、
弟は素直に反応していた様な気がする。

私は両親揃った幸せそうな家族に憧れを持つことは虚しくて悲しすぎるので、
今の方が幸せかもしれないと思うことで何とか心のバランスを保っていた。

ある時、弟が学校の帰り道、友達と喧嘩をしているところにたまたま通りかかった。

「あーあ、やだなあ」と姉として肩身の狭い気持ちで通り過ぎようとした。
するとその子の母親が家から出てきて、弟に何か言っている。

「あんたの家はお父さんがいないから・・・」

他人の振りをして通り過ぎようとした私の耳にその憎々しげに言った声が張り付いた。
その瞬間、私は道に落ちていた小石を手にしてそのおばさんめがけて投げつけていた。
言葉なんて必要なかった。思い切りにらみつけた。
「行こう!ダイチャン!」
弟の手を取ってガンガン歩いた。
後ろの方で「きょうだい揃って・・・」とか何とか聞こえた。

こういう心ない言葉の暴力が小さな子供の心をぐさぐさと傷つけて行く。
そして、自分たちは一段高い世界の住人だと思っている。
たかだか11歳かそこらの私に出来ることは、弟の手を取って、あなたの味方はここにいるよ、
と態度で表すことだけだった。
私は多少のことなら聞き流して平気でいられる。
だけど、弟にそういうことを言うのは許せないと思った。

弟はこんな話は、覚えてもいないらしい。
でも、20年以上たった今でも克明に覚えているところをみると、私も何らかの傷を受けたのだろうか?

この羽根と引き替えに

もう二度と踊れなくなってもいい。
もしもこの願いを聞き入れてもらえるなら。
私から踊ることを取り上げることは天使の羽根をもぎとる事と
同じくらいかもしれない。
だけど、それでもいいから祈っていることがある。
あぁ、神様が本当にいるのなら、ちっぽけなこの人間の全身をかけた
祈りを聞き入れてくれるなら、この羽根を差し上げますから
どうぞ今すぐに降りてきて下さい。

  

ありがとう

友達には毎日でも言えるのに。
どうして一番大事な人には言えないんだろう。

何が恥ずかしいんだろう。
何が照れくさいんだろう。

ずいぶん前に母親が旅行に行くと
言うので貧しいながらも一応働いているのでお小遣いをあげた。
旅先で資金がとぼしいのは心許ないに決まってる。

すると母親は「ありがとう」と言った。
何だか泣きそうになったので聞いていない振りをした。

いいのに、そんなこと言わなくても。
母親には口では言いきれないほど、文章に出来ないほど、いろんなものをもらった。
目に見えるもの、見えないもの。
だから、いいのに。
お礼なんか言わないで。

夜、眠る前にTAROに言った。
「いつも駅まで迎えに来てくれてありがとう」
TAROは聞いているのかいないのかあいまいな返事をした。

ダンスのレッスン中に時々思う。
今日も来てくれてありがとう。私のレッスンを受けてくれてありがとう。

いつもいつもそんなことばかり思っているわけではないけど、時々思うのだ。

 私も親からちょっとしたありがとうじゃなくて、すまないねぇって感じの気持ちの入ったありがとうを聞いたときはなんか、表現できない気持ちになったことを思い出しました。(chieさん)

 

 犬・ネコ・小鳥・・・ペットという名のお友達を持っている方、同じように辛い別れを経験した方から
掲示板にたくさんご感想いただきました。

コロンちゃん

平塚の七夕祭りで買った小さな小さなうさぎ。ピーターラビットみたいに茶色くて、目が黒い。
テキヤのおじさんが売っていた中で一番元気のいいのを選んだ。

手のひらに乗るくらいの赤ちゃんうさぎ。名前を「コロン」とつけることにした。

可愛くて、毎日見ていた。
「このうさぎはウンチしないんだ」と思った。小さすぎて気が付かなかった。

コロンに早く会いたくて毎日走って会社から帰ってきた。
一ヶ月くらいすると、コロンは手のひらには乗らなくなった。
テーブルうさぎなんて書いてあったけど、嘘だな、と思った。

いたずら盛りの時は何でもかじった。
電気のコード、買ったばかりのウールのコート、賃貸のアパートの柱。
どれをとってもかじられては困るものばかり。

コロンはどんどん大きくなって散歩に連れて出ると「犬ですか?」と聞かれた。

耳が片方折れて治らなかったので心配になり、野毛山動物園に電話した。
「ウサギの係りのおじさん、いますか?」子供のフリをして。

おじさんは親切に教えてくれた。大丈夫らしい。

悲しいことがあるとコロンに何でも話した。
分かっているのかいないのか、鼻をひくひくさせてコロンはじっとしていた。

飼い主に似て食い意地がはっていた。
買い物してきたものを冷蔵庫にしまう前に時々盗み食いされた。

「今何を食べた?!」口のにおいをかぐ。
「イチゴくさいぞ!食べたな!」口の周りがかすかに赤い。

台所の床が滑るので叱られて小屋に逃げ帰る時に、つぅーっと滑ってストーブにぶつかった。
しばらくしてピチャピチャと音がするのでのぞいてみると、鼻血が出ていた。
自分でそれをなめていたらしい。笑った。

6年間一緒に過ごしてきた。

でも、梅雨入りしたある寒い日にコロンは動かなくなった。
お腹をずっとこわしていた。

前の晩も脚を引きずるようによろよろと歩くコロンをずっと抱いていた。
その時確かに「かすみちゃんありがとう」とコロンの目は言った。

「最後にさわってあげなよ」と言われても信じたくなくて、
「いやだ、いやだよ」とベッドにしがみついたけど、引きずられるようにコロンの前に連れて行かれた。

こんなに別れが辛いのなら、出会わなければ良かったと本気で思った。

もう、私が生き物を飼うことは二度とない。

あれから12年もたつけれども、コロンのふわふわな毛を忘れていないよ。

 

 

  

 Kasumiの独り言特選集 2

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